単刀直入に言う。
私はズボラだ。
ズボラを辞書でひくと
[名・形動]行動・性格がだらしのないこと
語源は江戸時代の上方ことば「ずんべらぼん」。デコボコがなくのっぺりした様子を指す言葉らしい。米相場がズルズルと下がる様子も「ずんべらぼん」と言われていたようで…
そんな話は良いとして、辞書の通り私はズボラだ。
でも今のところ、家族や親友以外の周囲の人には、特にズボラとは思われていないようだ。そのくらいには、社会生活に支障をきたさないよう最低限には気をつかって生きている。
社会人となり5年目。未だに親元から通勤しており、家事一切を親にやってもらっているからこそ、何とかなっているのだろう。
パッと見も、オフィスカジュアルファッションのサブスクを駆使し、1分でできるまとめ髪をローテし、キレイなお姉さん風を保てている。
私は体を動かすことが億劫なタイプのズボラだ。
その代わり、動かず頭だけを巡らすことは好きなので、小さい頃から勉強は得意だった。
体育だけがいつも赤点スレスレだったが、それでも所謂トップ校や、誰もが知る難関大学に入ることができた。
大学1年で体育の必修が修了した時は、それまでのどんな卒業セレモニーよりも嬉しくて涙した笑
そして社会人となった。ズボラゆえ、ラクして成果を得るための仕事効率アップへの取り組みには、並々ならぬ執着がある。
普通の人ならそれほど苦にもならずやってのけてしまうことも、私には苦と感じる。しかし気づけるからこそ改善でき、数々の重箱の隅的な障害を逐一システム改善し、チリツモが大きな成果となり、所長賞をいただいたりもした。
それでも、職場を一歩出れば
「帰りの電車乗りたくねえ~…」
「乗り換えの階段、昇りたくねぇ~…」
「家までの坂道、歩きたくねぇ~…」
「メイク落とすのめんどくせぇ~…」
「お風呂入るの…(以下略)
と、何をするにもズボラな(しかも口悪い)つぶやきが脳内を駆け巡る。
所長賞は取れても、「自活」という単語を聞いただけで気が遠くなる。
死ぬまで、お風呂掃除(私が最もやりたくない家事)をしなくても生きていける術はないだろうか。
せっかく多様性万歳な時代に生まれたのだ。女が家事を放棄したって、後ろ指をさされたりはしない。はず。
こんなズボラな私が、どうにかこうにか幸せに生きていける人生設計を、このブログで真剣に考えていこうと思う。